「生産性が向上したお陰で今がある。」
 
みんな頑張って働いているのはご飯を食べたいから。
ご飯を食べるために働いているわけです。
 
じゃあ、その「ご飯」はどこから来ているのか?
それは、農家の方々が作ってくれていたり、
漁師さんが海から海産物を獲ってきたりしているものですね。
 
農家の方が自分たちが食べる分以上に生産して分けてくれるから、漁師さんたちが沢山の魚を獲って分けてくれるから
 
だから自分たちで作物を育てたり漁をしなくても
ご飯をいただくことができています。
 
食べないと生きていけない、私たちの生活の基礎となっている部分。
 
ですが、自分たちで食料を直接入手しなくても生きていけるようになったのはつい最近のことです。
 
ほんの200年ほど前は、人類の9割が農業をしていた、とも言われています。
1割は特権階級、その他は労働者という感じでしょうか。
200年前の日本と言えば、江戸時代後期くらいですね。
 
農業も漁業も、元々は人力で行っていました。稲を育てて植え、雑草を取り水をやり、大変な苦労をして米を育てていました。
 
生産性を向上させるために家畜が導入されました。
牛や馬を使って土を耕すことで人力よりも労力をかけずに作物を育てられるようになりました。
 
人々は千歯扱きや踏車などの便利な道具も生み出しました。
漁においても延縄、漁網などを用いて大量に魚を捕る方法を編み出しました。
 
ですが、ここまでの労働力は人や家畜といった生き物を使ったものでした。
その後、産業革命を経て、第二次エネルギー革命が起こりました。
石炭などを使って蒸気を起こし、蒸気を動力に変換するというものです。
 
エネルギー革命によって労働力を使わなくても蒸気機関車で移動ができるようになりました。
現代では電気を使うことによって様々な労働力を生み出すことができるようになりました。
 
最初は人力で動かしていた農業機械も、労働力が不要になり
人力で漕いでいた船も、エンジンが漕いでくれるようになりました。
 
その結果、産業革命前と現代では人一人あたりの生産能力が300倍以上にもなったそうです。
一人で1.5人分の食物を生産していたと仮定して計算すると、
農家一人あたり、450人分以上の食物を生産できるようになったということですね。
 
その恩恵が、現代の飽食社会に現れているわけです。
食べることと関係ないことを仕事にして、お金というものを稼いで、
そしてそのお金で米を買うことができる。肉や卵や野菜を買うことができる。
 
それもこれも、生産性が向上したからできるようになったんだなー。
 
そんな当たり前のようなことに、私はつい最近、気づきました。
世の中の生産性が向上したお陰で、一次産業以外の産業がこんなにも盛り上がっています。
でも、一次産業がないと私たちは食べていくことができません。
なのに、私たちは一次産業をそれほど大切に考えていないと思うんです。
 
もし電気がなくなったら、お金よりもお米のほうが圧倒的な価値を提供してくれます。
大停電によるブラックアウト、大地震、巨大台風、大規模水害…
 
自然の驚異はいろいろなことを気づかせてくれます。
 
今の生活、産業の根底には電気があります。
電気がないと生産性は極端に低下します。
今の日本の電気は主に中東地域から運ばれてきています。
 
原子力発電所がほぼ稼働していない今、日本の電気の多くは火力発電によって支えられています。
火力発電には燃料が必要です。その燃料は中東地域から運ばれてきています。
 
そうです。よく考えて見ると、中東地域から運ばれてくる原油がないことには
日本に住んでいる私たちの文化的生活は成り立たなくなるわけです。
 
ああ、恐ろしや。
 
そんなことを考えていると、
農業、漁業、狩猟などの能力や、
林業、左官業、炭焼きなどの能力も身につけていきたいなと思ってしまいます。
 
生産性が向上したお陰で今がある。
でも、それを支える電気は中東地域から運ばれてきている。
 
もし、日本に化石燃料が入ってこなくなったら電気がなくなる。
もし、電気がなくなったらどんな社会が待っているのだろう?

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